奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業😎 

今回紹介します本は、「奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業」です。

この本は過去に私が「人生ってツラいなぁ」そんなネガティブモードの時に読んだことで励まされ、自分の人生に大きな変化をもたらしてくれた本であります。

そもそも奴隷の哲学者エピクテトスとは、いったい何者?

そんな疑問を感じつつ、本を読み進めると彼が奴隷という立場でありながら哲学者でもあるという奇妙な人生を歩んだ人物であることがわかりました。

しかしながら彼の言葉には説得力があり、誰もが生きていれば感じるであろう日々の悩みや不安を一変させる起爆力があると感じました。

こんな方におススメ

  • 自由に生きたい
  • 他人からの評価、評判を気にしてしまう
  • 日々の生活に不安や悩みがある

結論

エピクテトス「自由に至る唯一の道は、我々次第でどうにもならないことは軽く見ることである。

奴隷という立場でありながら哲学を用いて、いかにして真の自由をさずかり、幸福な人生を送ることができるのかを考え、実践した人物であります。

エピクテトスの教えは約2000年の時を経た今も多くの人の心の支えになっています。

コアイザワールド的要約

エピクテトスは紀元50~60年頃のローマ時代に奴隷の両親から生まれました。

この世に誕生したときから奴隷という身分。自分の本名もわからずエピクテトスという名前は後から誰かがつけた名前でありました。

しかも片足は不自由でまともに歩くこともできない。更に奴隷解放からの国外追放、もう私の人生何なのっていうぐらい踏んだり蹴ったりです。

そんな彼が奴隷という立場から、いかにしてこのハードモード人生を生き抜いたのか、それは哲学という盾で自身の心をがっちり守っていたからであります。

その基軸となったのがストア派といわれる哲学です。

ここで豆知識ですが、ストア派とは現代でよく使われるストイックの語源と言われています。

ストア派哲学は禁欲主義とされ、自分の欲望にそのまま従うのではなく、意識して禁欲する、我慢する態度を指しています。

ではなぜ禁欲する必要があるのか?

それは欲望を適切にコントロールすることが幸、不幸を分けることに直結するからであります。

我々次第であるもの」「我々次第でないもの」の境界を見極めて自分の裁量の範囲内にある物事にだけ自分の欲望の対象を限定するとあります。

つまり、自分でコントロールできる範囲の物事に自分のやりたいことに意識を向け、自分でコントロールできないものは、放っておくというスタイルです。

例えば他人の行動や感情、自然災害や天候、株価、毎日流れるネガティブニュース、子供の我の強さ(笑)など

自分でコントロールできる何かに労力を投じないと時間とエネルギーの無駄になってしまいます。

そして、地位や権力のある人、芸能人など、お金持ちであり一見、何不自由なく人生を送っている人達に対して妬んだり羨む感情が少なからずあると思います。

そんな感情に対してエピクテトスはこう問いかけます。

「君は何かに囚われて生きる人生何にも囚われずに自由に生きる人生、どちらが幸せだと思う?」

「自由に生きる人生がいいに決まっている。」誰もが自由に生きる人生を選択すると思います。

エピクテトスは続けます。

「では地位や名誉、財産に囚われ、それを基準に生きている人は本当に幸せなのだろうか?」

「それらを得られなければ不満がうまれ、得られたら今度はそれを失ったり、減ったりすることに恐怖がうまれる。」

何かに囚われて生きる人生とはつまりそういうことだ。」

「自由に生きることが幸せだと思うならば地位や名誉など我々次第でないものは軽く見なさい。

この言葉に私はハッとしました。

職場での自分の地位、年収、上司や同僚との関係、これらに囚われすぎていたと、そして今まで馬車馬のように働いてきた自分がエピクテトスの教えによって解放され、働きかたに対する考えが大きく変わった瞬間でありました。

自分がいかに努力したところで他人からの評判や評価は自分でコントロールできるものではありません。

逆に他人の目や評判にこだわりすぎると自分が進むべき道を見失い、不幸になります。

エピクテトスは「他人の評判を恐れるな」と言っています。

最近ではインターネットの普及により誰とでも簡単に繋がれるようになりました。

SNSではコメントやいいね!をつけられ他人からの評価にさらされる世の中になり、その評価欲しさに自分でも気づかないうちに他人からの評価がすべてになってしまいます。

そして、その過剰な承認欲求が我々を奴隷に仕立てあげるとあります。

承認欲求とは、愛されたい、好かれたい、気に入られたいという誰でも本能的に持ち合わせているものですが、この承認欲求が強すぎると人は奴隷に近づいてしまいます。

それはつまり他人に何としてでも気に入られたいという欲求が自分という意志、そのものを相手に渡してしまうということになるからです。

そしてエピクテトスは言います。

「いつでも他人の顔色をうかがいながら振る舞う生活は奴隷の最大の特徴である。」

・・・・・・・私は今まで奴隷だったのか!(悲)

この事実を教えてくれたエピクテトス先生には感謝しかありません。

エピクテトス先生は「本当の自由」は誰もが持っていると言います。

それは自分の意志だと。

自分が何をしたいと願い、どれを優先し何をすべきか判断すること

「この意志だけは誰にも奪えることのできない唯一のものだ。」

「たとえどんなに辛い状況でも意志だけは自由なのだ。」

何を思い、何を考え、何を判断するか、これらは誰にも奪えない唯一の意志であるとエピクテトス先生は言います。

しかし、他人を恐れ、他人に判断を委ねる生きかたはその自由意志を他人に渡してしまうことになります。

私達は仕事で失敗したり、病気やケガのせいで必要以上に落ち込んでしまい、自由である意志でさえも負の方向に持っていってしまいます。

こういう困難な時に直面した時こそエピクテトスが教える自由意志を忘れないことが大切です。

まとめ

エピクテトスの哲学思想の影響力は凄まじいものがありました。

その影響を受けた一人に当時のローマ皇帝マルクス・アウレリウスがいます。

皇帝はエピクテトスの残した教えに共感し、哲学者となります。哲学者でもあり皇帝でもある彼は自身の書物「自省録」にもエピクテトスの教えを引用したとあります。

奴隷と皇帝という身分の異なる二人が哲学を通じて暗黙の師弟関係を結んだという興味深い歴史があり、彼の教えは、2000年前の哲学として色あせることなく、現代もこうして学べることはとてもありがたいことです。

最後になりましたが、前回に続き、今回も哲学という重めの内容だったので次回はもっと軽い本を紹介したいと思います。

哲学っておもしろいですね。

最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。😊

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